HEAVEN

―プロローグ―

「……何か、混んできましたね。」
「えー。冗談じゃねーよぉ」
 去年、ドラフト指名でプロ入りした元希さんが、久々にまとまった休みが取れたので、地元へと帰ってきた。
 俺は車を出して、2人して俺の住むマンションに向かっている途中だった。

 混みだしたと言っても、交通はある程度流れているので、それなりにスムーズに進んでいる。
「このくらいなら、そんなに時間かかりませんから」
 …なんて、元希さんを宥めながら、久しぶりに2人で過ごせる時間が持てた事で、浮かれていたというのは確かにある。

 この人と恋人になれたのは去年の事で、忙しい元希さんには、なかなか会えなかったから。
 だから気付くのが遅れたのだろうか?
 いや、気が付いていたとしても、避けきれるわけが無かった。

 右車線からトラックが追い越しをかけてきたので、素直に前に出した。
 すると、そのトラックから荷台から、何か大きな固まりのような荷物が落ちて……それがこちらに飛んできた。
 全身が粟立つ緊張感。
 ………隣車線は詰まっていて、避けられない!!
「伏せろぉぉっっ!!」
 耳に飛んできた元希さんの怒号で、反射的に元希さんの座っている助手席の方へ身を伏せた。
 俺より一瞬早く伏せていた元希さんの身体を抱え込み、この人が大きな怪我をしないことだけを祈った。怪我を恐れるこの人を、悲しませたくなかったから…。
 覚えているのは、ここまでだった。


   ◇  ◇  ◇


「!」
 目が醒めると、そこは自室マンションのベッドの上だった。
 見覚えの有る家具に、安堵する。

 ―夢?

 あの感覚が夢だとは、とても思えなかったが、あの状況で意識を失っていたなら、間違いなく病院に居るはず…。
こうして部屋にいると言うことは、やはりあれは夢だったのだ。安堵すると喉がカラカラな事に気づき、冷蔵庫から飲料水を取り出して飲み干した。
 そのまま顔でも洗おうと、何気なく洗面所に行くと…。
元希さんの洗面具が無かった。
 歯ブラシや剃刀、ボディブラシもあの人は決まったものしか使わない。それらが一切無い。

 ―!?

 慌ててクローゼットを確かめる。
 元希さんの衣類も、スリッパも、元希さんのものが何もかも部屋から消えていた。
「なんで……」
 このベッドで、2人で過ごした。
 このテーブルでメシ食って。
 俺の作ったメシを、美味そうに頬張って…。

 携帯を架けようと履歴を漁るが、そこには元希さんの名前が無かった。
 あんなに毎日電話しているのに……。
 青ざめながら住所録を探すが、榛名元希の登録が無くなっていた。
 ………まさか俺、別れたのか?それがショックで記憶が抜け落ちてるなんて事ないよな…? 

 元希さんはどうしてるんだろう?
 パソコンをつけて、野球記事を読みに行った。
 しかし、トピックス一覧には榛名元希選手の記事は無い。

 いくらドラフト指名と言っても、球団に入って間もないので、当然と言えば当然だ。
 仕方がないので、検索を掛ける。何か、少しでも情報が欲しかった。
 でも…パソコンには「榛名山」「榛名湖」と言った地名などが並ぶだけで、榛名元希では引っかからなかった。

 ………そんな馬鹿な。
 去年のドラフト選手だぞ?検索に、引っかからないなんて事があるか?
 慎重に探すが、何度見ても元希さんの名前は何処にも無かった。
 それに、以前検索したときには山のように引っかかった。それがこれだけ探しても無いなんて事があるだろうか?

 今度は片っ端から友人に電話してみる。
 ……嫌な予感は既にしていた。帰ってきた答えは予想通り。
「榛名元希って誰?」
 知らないはずは無い。なのに誰1人知らない。
 車のカギを取って家を出た。元希さんの実家はどうなっているのか確かめる為に。


   ◇  ◇  ◇


 車にもたれて、青空を見上げた。
「家が無いですよ。元希さん…」
 溜息混じりに呟くと、余計落ち込んだ。
 元希さんの実家のあった場所は、公園になっていた。近所の人に聞いてみても、昔から公園だったと言われた。

 何故、こんな事になってしまったのか。
 あなたは何処に行ってしまったのか。
 ひょっとしたら、自分はあの事故によって昏睡状態に陥っているのだろうか?
 コレは全て夢なのかもしれない。
 今頃は病院で管だらけになって…いや、もしかしたら死んで彷徨っているのかも…

 車のシートに沈み込むように座って、ぼー…っと、していると、携帯の着信音が響いた。
 携帯の着信画面には、1年ぶりに目にする懐かしい名前が表示される。
「もしもし…」
「あ、阿部君?元気だったー?」
 少し驚きながらも電話に出ると、懐かしいモモカンの声が響いた。
「まぁまぁです。」
 身体は何とも無さそうだが、流石に「元気です」とは返事をする気にならなかった。
「あれ?何か元気ないね。どうかした?」
「………まぁ、ちょっと」
 落ち込んではいるが、今の状況を説明など出来なかった。
「監督こそ、どーしたんスか?」
 モモカンは、俺達の高校卒業と同時に結婚していった。
 あの時の花井は、見ていて痛々しかったな…などと思い返していると。
「えへへー。実はねー。私ね、赤ちゃんが出来たんだ。」
「へぇ…おめでとうございます。」
 自分がこんな時でも、幸せそうにしている監督を見るのは、何となく嬉しかった。今の自分があるのは、少なからずこの人が影響していたから。
「それでねー…」
「?……はい。」
「実は今、切迫流産で入院してるんだよね。あっはっは」
「ええ??大丈夫ですか?……と、お見舞…」
「いやー、いいの、いいの。赤ちゃんも無事だったし、お見舞いなんか来なくて。そんな事より、阿部君に頼みがあってさー。」
「はい。」
 高校時代、モモカンには世話になりっぱなしで、卒業してしまった。何時か返せたらと思っていたので、俺に出来る範囲のことなら役に立ちたいと思っていた。
「今、私が監督やってるシニアチーム何だけどね。変わりに見る人がいなくてさー。阿部君頼まれてくれないかなー?」
「え……俺。」
 悪いがそれどころではない。今は、この世界がどうなっているのかすら、分からない状態だ。そんな長期的な依頼を、受けるわけには行かなかった。
「あのね♪この間入ってきた子が、早い球投げてくれるのよっ。レギュラーの子でも捕れなくて、不満そうでさー。阿部君なら余裕じゃないっ!」
「すいません…俺、今それどころじゃ…。」
「えー。ソコを頼むよ。榛名元希君って、言ってさ…」
「ええっっ!」
「わぁっ…びっくりしたぁ。急に大きな声出さないでよ阿部君」

 ドキリとした――――――。
 榛名元希だって?
「あのっ……榛名元希って…」
「うん。それがさぁ中学生ながら球速もあるしぃ、しかも左投手なのよっ!怪我した膝が治ったばかりとか言ってたんだけど、そう言うの見るのも阿部君得意でしょ?だから頼めないかなぁって思って…」
「やります!」
 元希さんが…いた?
 モモカンは中学生と言っていた。まるっきり別人である可能性も捨てきれない。
 でも。シニアに入り立てで、怪我が治ったばかり…。
 この不思議な符号を、無視することなど出来なかった。

 次の日は一刻も早く確かめたくて、指定された時間より、随分早くグラウンドに着いてしまった。
 ここに来るのだろうか?この場所に…。
 そして、その子は本当に、元希さんなんだろうか……。
 俺は柄にもなく、ドキドキしながら子供達を待っていた。


   ◇  ◇  ◇

 ここのシニアを選んだ理由は、女性監督って話だし、俺に怪我をさせた監督みたいに、いちいち干渉してくることは無いと思ったからだ。
 プロを目指してるんだから、硬球には早めに慣れておくに越したことは無いし、秋丸達の後押しも手伝って、俺は、シニア戸田北にやって来た。
 シニアなら中学の部活よりは上手い奴が揃っていると思ったのに、俺の球を取れる捕手がいなかったのは少し残念だが、無理を強いる監督さえいなければ、今はそれで良かった。

 練習場に着くと、今日はグラウンドに男の人が立っていた。
 監督は、まだなのかな?
グラウンドにいると言うことは、関係者だろう。コーチか何かかな?取りあえず挨拶をしようと、俺はグラウンドに立っていた男の人に向かって歩いて行った。

 近付くにつれ、こちらの方をじーっと見つめてきた。側までやって来ると、俺の顔を益々ジロジロと見てくる。
……何でこの人、人の顔ジロジロ見てるんだ?
「おはようございます」
 俺が口を開くと、ビックリしたような顔をした。
 もしかして、チームに全然関係ない人なんだろうか…?
 ……怪しい人に声を掛けてしまった…。
 俺はくるりと踵を返し、出来るだけ離れたところに荷物を置きに行こうとしたら、背中から声を掛けられた。
「………おはよう。榛名元希君」
 ……俺、名前名乗らなかったのに。
 後から考えると、バッグにデカデカと名前が書いてあった。我ながら間が抜けてるよな。


   ◇  ◇  ◇


「えー。監督が入院してしまいましたので、その間臨時監督を務めることになった阿部隆也です。宜しくお願いします」
「「よろしくおねがいしまーす」」
 さっきの男の人が、皆を集めてそう挨拶した。
「監督は何の病気なんですか?」
「何時、帰ってくるんですか?」
 他のチームメンバーが、矢継ぎ早に質問を飛ばしてくる。
 昨日来たばかりの俺と違って、みんなは随分監督を慕っているようだった。

「えー、監督は病気とは少し違います。いつまで入院なのかは俺も聞いてないんだが、監督は妊娠していて、赤ちゃんがお腹から出て来ちゃいそうになったんで、病院で『まだ出てきちゃだめだよー』って治療をしてます。今は落ち着いて、そんな深刻な状態じゃないそうだから、安心してくださいとの事です。」
 ふーん。…て、思った。
 折角、女の監督選んだのにな…。
 それに、あの監督は何となく好きだったから、少し残念に思った。まぁ、この新しい監督でもいいか。
「はい。では、アップ始めてください!」
「「はーい」」
 それからは昨日と同じメニューが始まった。
 新しい監督も案外マシで、臨時にも関わらず、それなりに野球経験が有るようだった。


   ◇  ◇  ◇


「あっ!………ワリーッ」
「………いぇ…。」
 組んでる捕手が捕逸した。捕れる捕手は中学のチームにだっていなかったから仕方がない。
 秋丸よりは上手いような気はするし、少し軽めに放れば捕ってくれた。
 何度か捕逸するのを見て、監督が近付いてきた。

 ――捕手の防具を付けて。

 さっきまで俺と組んでいた捕手に変わって、そこへ座る。
 その自信ありげな態度が何となく気にくわないので、キツ目の球を投げてやったのに、軽く捕られた。
「ナイスボール」
 戻ってきたボールを受け取ると、今度はおおきく振りかぶって全力で投げた。
 バシィッ
 ミットに入る心地よい音と共に、ボールは監督のミットに収まっていた。
「よし。あと、5球いくぞ!1球!」
「はっ…はいっ」
 どれだけ全力で投げても、監督は捕りこぼさなかった。
 正直、気持ちよかった。

「俺、八〇球しか投げませんから」
 これは、シニアに来る前に決めていた。期待すんなって意味を込めて、キッパリ言ってやったのに、返ってきた答えは実にあっさりしたものだった。
「いいよ、怪我をしてるんだったね。」
 やさしく笑って承諾してくれる監督に、正直戸惑った。
「え?いや、怪我はもう治ったんっすけど…」
「いや…膝っていうのは、直っても微妙なコントロールには影響がでる。今はまだ無理はすべきじゃない。今後の練習は、体を作ることを中心に組み立てていこう…。」
 監督から返ってきた返事は、こんなだった。
 それは、俺が期待する返事以上のもので、最初は怪しいとか思ってたのに、帰る頃にはすっかり新監督がお気に入りになっていた。


※ここからストーリーが分岐します。
強姦編へ→
和姦編へ→



このお話は、この先のストーリーがそれぞれ独立した分岐型となっております。
お好みの方へ、進んでみてください☆

2009.02.10



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